4月15日
朝から赤坂、新人のアルバイト初日。
新人と言っても料理経験は私よりも上で、仕事がしやすい。
大量のホットサンドが出て、打ち上げも上々。
休み明けにまた買い出しだな。週末はパーティーもあるし。
毎朝目覚めてすぐに詩を書いている。
朝食を食べるように作るように。
タゴールの詩集を読んでいてて少し影響される。
象徴主義の詩、ダダの詩でも全体を覆う、ひとつの詩についてあるように思う、
比べて赤瀬川さんの著作、文章の散らかり方、いや、ちらかっているけど最後にはまとまっているんだけど。
散らかそうとして散らかっているもの
散らかっていいたけどまとまってみえるもの
まとまっていそうで散らかっているもの
まとまっていいてまとまっているもの
今井次郎さんの4パターンの原理だね。
ここ数日は詩を書くときに、最初に去来した言葉をテーマにして
俳句の要領で少し離れた語彙を選ぼうとしているが、
言葉自体や感情身体が自然と記そうとしていること、
まあ、言葉自体が書こうとしているというのは一つの試みであってそれを判定することはできないのだが、
クロードレジのインタビューを読んでいて「エクリチュール」という言葉が出てきた。
調べると
エクリチュール【écriture】
書くこと。広義では、線・文字・図を書くこと、狭義では書かれたもの(特に文字言語)をさす。フランスの哲学者デリダにより、西欧の音声(ロゴス)中心主義を批判するのに用いられた語
とある。
インタビューのなかでは役者はエクリチュールを消す、しかしテキストを現わすのは役者であるとの記述。
劇においてであろうが。
【テキスト】より
…ラテン語のテクストゥスtextus(〈織物〉の意)に由来し,テクストとも表記する。テキストはもともと文書の〈本文〉を指し,注釈,索引,挿画等と区別したり,歌曲や歌劇でメロディに対する言葉の部分の名称として慣用されていた。
今というところから記されていく文字や、今というところから発生していく動きというもの
それはこの世の中に集約されて、意味、を帯びているのはわからない
ただ生まれていくし消えて行く、
僕はログがのこると考えていて、正確にはログのようなもの
それをたどる手段が人類にはいままだないのだが、
そのうちそれをたどれることになると思う。
僕がこうして部屋で文字を書いていること、このブログに書かれていることではなくて
僕が書いているこうした行為というものが世の中のパルス
パルス
極めて短い時間だけ流れる電流や電波。また、そのくりかえし。
かと思われるので、それはどこかに痕跡がのこると思われるのです。
賢治の、序、有機交流電燈とはこのことだと思われる。
序
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといつしよに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失はれ) これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつゞけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケツチです これらについて人や銀河や修羅や海胆は 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが それらも畢竟こゝろのひとつの風物です たゞたしかに記録されたこれらのけしきは 記録されたそのとほりのこのけしきで それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで ある程度まではみんなに共通いたします (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから) けれどもこれら新生代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで 正しくうつされた筈のこれらのことばが わづかその一点にも均しい明暗のうちに (あるいは修羅の十億年) すでにはやくもその組立や質を変じ しかもわたくしも印刷者も それを変らないとして感ずることは 傾向としてはあり得ます けだしわれわれがわれわれの感官や 風景や人物をかんずるやうに そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに 記録や歴史 あるいは地史といふものも それのいろいろの論料データといつしよに (因果の時空的制約のもとに) われわれがかんじてゐるのに過ぎません おそらくこれから二千年もたつたころは それ相当のちがつた地質学が流用され 相当した証拠もまた次次過去から現出し みんなは二千年ぐらゐ前には 青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ 新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層 きらびやかな氷窒素のあたりから すてきな化石を発掘したり あるいは白堊紀砂岩の層面に 透明な人類の巨大な足跡を 発見するかもしれません すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます 大正十三年一月廿日