ことばというものは
言葉というものは実質を持ち得るものであり、それは境界線となり得る上に、成り立ちや、その受け取られる角度や距離によって性質や意味すらも変容します。さらには現わせるもというのはその全体の一部分だけでしかないのです。そのことを改めて思う。
というのを昨夜書いた。震災以降日本の人は意見をもたなくてはならなくなった。そこにSNSの普及が伴って、web上で意見を交換というか戦わせる風潮ができた。ことばは一部分でしかないので、しかも自分の感情をしっかりと言い当てる言葉を持っているわけではないので、諍いがうまれる。こうして言葉によって考え方が違う人とはいられない、ということになり、SNSの普及はここでも一役買っている、(まったくジョブス、ひどい世の中にしてくれたね、あんたは息子にはスマホ触らせなかったんだってね。ああ、弊害をしってるからね)
そばにいるものを選ぶ、それは自由で当たり前、読みたいものだけ、必要なものだけ、純度100パーセント。
それは狭くなる。世界が狭くなる。息苦しいのは当たり前だよ。