3月11日
震災があってから7年目。
その時ぼくは所沢のマンションにいた。
揺れで目がさめた。
テレビをつけて津波の押し寄せるのをみていた。
3日間西武線が止まり家にいた。
友人たちと連絡を取り合って安否を確認した。
4日目にアバッキオに行って周囲の人たちと会った。
原発が爆発した。
もやもやとした不安ばかりが募っていたこと
僕にも周囲の人たちにも。
そしてしばらくして足利さんと現地の災害支援へいくことになる。
ピースボートの人たちはとうに現地入りしていた。
よく知る人はしんごちゃん。
詩人の大江さんがマクドナルドで震災についての詩を書いた。
僕も足利さんと現地に行ったあとに詩を書いた。
記すこと
サルトルは日記を重要性を書いた。
2018年の3月11日
僕は赤坂で料理を作っていた。
昨日とそうは変わらいない日常の中
それぞれの瞬間が過去という概念の中に飲み込まれていく。
黒板に言葉を書いて消す。
デジャブのような言葉
意味よりも黒板の前で
言葉に任せて僕はただ記す。
言葉は詩人のためにあるのではなく
詩人が言葉のために存在する