4月9日
モメラス稽古。
打ち合わせにてメーテルリンク関連の研究課題を決める。
作品が学ばせてくれる。すばらしい。
参加俳優陣で直線、対話篇など。全員がそろったらまず舞台の前に稽古場が輝く気がする。
日記について終わったことを書くのは記録しておくことなのかもしれない。
明日の日記を書くというのはどうだろうと思いつく。
言葉というものがもつ力について考える。
詩でいうと繰り返されるリフレインがあることにより協調される
全世界的相対量としての言葉を発するときの意味合いは強度を増していくのか
ベルクソンの著作に強度を扱った章がある
光の出発点が多いほどその光は強度をもつのかという問題提起。
繰り返される言葉
それは蓄積されるのだが
わからない明日を未来を先を言葉によってやる
それは暗喩なのかもしれないが
そうして記すことが果たして可能なのか、
運命論によるとすべてはすでに規定されている、のだから
先のことを察して記すことも可能である
たぶん私の身体や思考は今を飛び越えてゆくことはできない
が、言葉というものの ミーム的なものがあるとするなら
未来より干渉されて記されるものというのもあるのかもしれない。
私は装置だ
私はこの生の中でわからないことが圧倒的であるので
そういうこともあるのかもしれない。